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仏像 展覧会

北村西望『聖観世音菩薩』ブロンズ像

北村西望『聖観世音菩薩』ブロンズ像
北村西望『聖観世音菩薩』ブロンズ像

価格:63,000円

商品の詳細 作品名聖観世音菩薩作家名北村西望技法 ブロンズ像額寸高:27 幅:13 奥行:7.5cm絵寸cm 状態:良好 作家刻サイン入り 墨署桐箱付 銅には、「安らぎ」や「感性」など、人に与える独特な効果があると言われています。

また、銅を扱う人は「病気にならない」と言われます。

銅の抗菌・除菌作用で環境や人体の廻りがいつも清潔であり、銅を扱う際、人体に必要な金属に接して微量ながら適当に摂取し健康を保っていると考えられます。

 北村西望の菩薩は、持ち味でもある男性的な力強さを持つと同時に、柔和な表情、温かな眼差しなど、信仰心の象徴たる仏像の荘厳さとぬくもりを余すところなく表現した品格あふれる作品です。

◆北村 西望(Seibou Kitamura)◆1884 12月16日、長崎県南高来郡南有馬村白木野字宮野木場に生まれる。

1903 京都市立美術工芸学校彫刻科入学。

   彫刻とは、木を彫ることぐらいしか頭にないまま彫刻家への志を立てる。

   生涯の最愛の友であり、ライバルである建畠大夢と出会う。

1912 東京美術学校彫刻科を主席で卒業。

1914 郷里にて結婚式を挙げ東京へ戻る。

1915 西望の長男「治禧」(はるよし)誕生。

   第九回文展に「怒涛」を出品、最高賞(二等賞)を受賞。

1916 第十回文展に「晩鐘」を出品、特選主席を受ける。

   建畠大夢・池田勇八・国方林三ら4名で研究会「八手会」(やつで)を結成。

1917 「光にうたれる悪魔」が第十一回文展推薦となる。

文展常連出品者から文展作家となる。

1919 第一回帝国美術院美術展覧会彫刻部審査員となる。

以後歴任。

1921 東京美術学校教授に任命される。

千々石村に橘中佐像建てられる。

(1954年復活建立)1923 寺内元帥騎馬像完成、東京の三宅坂に設置。

(1943年の銅像供出で撤去され鋳潰される。

)1925 帝国美術院会員となる。

1930 山県有朋元帥像が完成し、霞ヶ関の陸軍大臣官邸に置かれる。

   (戦時中の供出を逃れ上野に移され、現在は井の頭彫刻園に置いてある。

)1938 「板倉退助翁」像完成・国会議事堂内に設置。

   児玉源太郎大将騎馬像完成し、満州の新京児玉公園に設置される。

1944 朝倉文夫と共に銅像救出委員会を組織。

銅像供出の阻止運動を行う。

   東京美術学校を退職・従三位勲四等を受ける。

1945 矢那瀬村に三年間疎開。

この疎開中、必要に迫られ新しい技法石膏直付け法を思いつく。

1953 井の頭自然文化園の土地を東京都から借り、アトリエを建設、そのアトリエに移る。

1955 長崎平和祈念像完成、8月8日除幕式。

1958 文化勲章・文化功労賞拝受。

1965 日本芸術院第一部長となる。

1969 社団法人日展会長となる。

紺綬褒章を授与される。

1972 島原城に「西望記念館」完成。

1973 原城本丸に「天草四郎像」設置。

1974 社団法人日展名誉会長となる。

1976 新宮殿に「天馬」を献納。

1977 広島市中央公園 鯉「飛躍」設置。

1979 西望公園完成・記念館オープン。

1981 東京都青梅市御岳山頂「畠山重忠公像」設置。

1985 西望公園・記念館復元工事完成。

1987 3月4日逝去、享年104歳。

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