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横山大観横山大観 【春山雨後】(掛け軸)
横山大観 【春山雨後】(掛け軸)
価格:100,800円
← 画像をクリックすると拡大表示されます 画 題春山雨後(しゅんざんうご)解 説《春山雨後》の手前には朦朧体に和絵的な波線を加えた海があり、大きな空間をとって、肩先白く尾の長い鵲(カササギ)を一羽飛ばせています。
画面上半分には柔らかい緑の山稜(間に墨の杉山と桜を挟む)を重ねて左下に走らせています。
見事なまでの考え抜かれた構成の一幅です。
作 家横山 大観(よこやま・たいかん)寸 法軸寸法 縦181.0cm×横50.5cm紙面寸法 縦100.0cm×横34.5cm表 装三段表装体 裁天地:薄茶無地中廻:薄浅葱小花唐花緞子風帯・一文字:牙色蔓唐草金襴軸先:牙代用箱:柾目桐箱・タトウ入り※表装の裂地(きれじ)は特織謹製しておりますが、万一品切れの場合は、類似模様の裂地にてお仕上げいたします。
本 紙特製絹本原 本所 蔵西宮市大谷記念美術館監 修横山隆(横山大観記念館・理事長)版 式特殊美術印刷多色刷特 記複製画※ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。
ご了承ください。
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横山大観 『春山雨後』本紙拡大図● 横山大観 画伯 略歴 ●明治元年茨城県水戸市に生まれる。
本名秀磨明治22年東京美術学校に第一期生として入学。
明治26年東京美術学校を卒業。
明治29年東京美術学校図案科助教授となる。
明治31年美術学校騒動。
校長岡倉天心らとともに辞職し、日本美術院創立に参加。
明治36年菱田春草とインド外遊する。
明治37年天心、春草らと渡米。
各地で作品を展覧。
明治38年米国より欧州に渡り、各国を廻って帰国。
明治39年日本美術院、茨城県五浦に移転。
春草・下村観山らとともに一家で移住。
明治40年第一回文展開催に際し、審査員を務める。
明治42年上野池之端に新居を構える。
明治43年寺崎広業らと中国旅行。
大正2年天心逝去し、観山らと日本美術院再興を計画。
大正3年東京谷中に日本美術院を再興し、経営者・同人となる。
再興第一回院展を開催。
昭和5年ローマ日本美術院展開催。
美術使節としてイタリアを訪問。
昭和6年帝室技芸員となる。
昭和10年改組帝国美術院会員となる。
昭和12年帝国芸術院会員となり、第一回文化勲章受章。
昭和14年この頃、本作品「春山雨後・秋霽」制作。
昭和33年逝去。
正三位勲一等旭日大綬章を追贈される。
享年八十九歳。
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