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マイセン 美術館【セーブル】ビスキュイ人形☆壊れた木靴◆陶磁器◆フランス◆SEVRES☆
【セーブル】ビスキュイ人形☆壊れた木靴◆陶磁器◆フランス◆SEVRES☆
価格:1,522,500円
★フランス国立セーブル製陶所工房作品詳細★ ブランド(原産国) 【セーブル・SEVRES】フランス 作品名(パターン) LE SABOT CASEE(壊れた木靴) 原作制作年度 1760年 Etienne-Maurice FALCONET(エティエンヌ-モーリス ファルコネ) 制作年度 2001年 France TOCQUEVIL(フランス トックビール) 作品サイズ 高さ:17.5cm,横幅:15cm,奥行き:11cm 特記事項 画像と実際の作品の色合い及び風合いは微妙に異なります。
参考上代(定価) オープンプライス 作品説明 クリエーター:France TOCQUEVIL(フランス トックビール) セーブル工房で創作活動をするビスキュイ作家、陶芸家。
ビスキュイ製・人形 【この作品は十八世紀の技法による軟質磁器 PT(ソフトペースト)によって制作されている。
】作品にはセーブル工房のビスキュイ用ロゴと成型年度が刻印され、作家のサインが彫られている。
------------------------------------------------------------------------ 少女が膝にのせた壊れた木靴を済まなさそうに見て、両手をぶらぶらとさせ座っている。
少女の綺麗な右足は裸足でスカートからでている。
少女の左にいる幼女も壊れた木靴を凝視している。
「葉の裏」と呼ばれる同作者の作品があり、それとこの「壊れた木靴」は同列に扱われている。
「葉の裏」と呼ばれる作品は緊張感のある作品でまとめられているが、この「壊れた木靴」像の構成のみは大変に静的である。
只、性的な処女性の損失を両作品ともに暗示している。
当時の上流市民層によれば、LAFONTAINEの著書からイメージをされたこのテーマはFRANCOIS BOUCHERが素描をし、DEMARTEAUにより彫刻がなされた「田舎の風景の中にいる農民とその傍で寝ている子供」の構図からイメージされた作品ではないかと言われている。
又その彫刻画の農民の構図に大変似た構成である。
異なる点は足の位置、放り出された花篭と壊れた木靴がない点である。
花篭と壊れた木靴をあえて消し去った事で、製作意図の違いを表現している。
劇場やオペラへの熱狂的な陶酔がFALCONETの作品製作の方向性を示唆し、 彼の作製したビスキュイ作品によりFAVART座の劇や舞台が想い起こされる。
FRANCOIS BOUCHEERの田園風景画から感受される、恩恵と少年の官能的恋愛はFALCONETの彫刻によって、更にダイナミックに象徴化が進められた。
このビスキュイは旧体制「フランス革命以前」まで好評を博した。
1760年にベルサイユにて行われた展示会でポンパドール婦人により、「壊れた木靴」 「葉の裏」の2種の作品はそれぞれ60リーブルにて買い取られた。
これらの作品はVERSAILLEで編纂されたポンパドール侯爵夫人の財産目録「フランスの磁器ビスキュイ」の中で財産として記録されている。
又、これらの作品は制作から購入までが短期間に行われており、原型と石膏型の制作が1760年で、財産目録には1761年1月に購入と記載されている。
更に、同一の作品は同時期に20点が型取されている。
この2つの作品はFALCONETの息子の素描とMENILのビスキュイをもとにETIENNE-MAURICE FALCONETによって作製された作品である。
但し、FALCONETは自然な姿勢と服の構図を著しく変えている。
特に、この2つの情景はBOUCHER以降の彫版の分野における傾倒が軽度に含まれている。
今でもこの2つの作品の互いにかけ離れた作風には驚かされる。
と言うのも、「壊れた木靴」は極端に静的で憂鬱な表現をしており、 「葉の裏」は明らかにダイナミックで希望に満ち溢れている作風のためである。
(TAMARA PREAUDの著書よりの引用)------------------------------------------------------------------------ 参考著述目録 BIBLIOGRAPHIE ブルジョワ イ氏著書(BOURGEOIS E) 著書名:セーブル工房の18世紀ビスキュイ。
狐とシエ1909年の巻。
55ページ ブルジョワ イ氏(BOURGEOIS E)と ルシュバリエシュビナード氏(LECHEVALLIER-CHEVIGNARD G)の共同著書 著書名:セーブル工房のビスキュイ、18世紀の原型の集積、LAFFITE 1913年の巻。
項目7、543。
ピノデビルシェノン氏著書(PINOT DE VILLECHENON) マリーノエル氏、協力(MARIE NOELLE) 著書名:演劇・オペラ・文学から啓蒙を受けた作品群 展覧会名:セーブル工房におけるFALCONET と大衆芸術1,757?1766年 国立セーブル陶芸博物館にて2001年11月6日〜2002年2月4日開催の展覧会カタログの132ページ。
プロータマラ氏著書(PREAU TAMARA) 著書名:様相の革命、ポンパドール夫人と磁器彫刻 展覧会名:ポンパドール夫人とその芸術家達 国立ベルサイユ、トリアノン博物館にて2002年2月14日〜5月19日開催の展覧会カタログの478〜505ぺージ。
サイモングザビエ氏(SAIMON XAVIER) 展覧会名:ポンパドール夫人とその芸術家達 国立ベルサイユ、トリアノン博物館にて2002年2月14日〜5月19日開催の展覧会カタログの489ぺージ。
------------------------------------------------------------------------ 「ビスキュイ」 セーブル工房の「ビスキュイ」という呼び方は、1751年以来の模様も釉薬もないセーブル工房の陶磁器彫刻のことを指す。
この呼び名は白い大理石の無垢な冷ややかさを喚起させると同時に、マイセンの彩色された彫刻作品と区別する為に積極的に取り入れられた。
------------------------------------------------------------------------ ☆Pate tendre(ou P.T)☆ソフトペースト(軟質磁器P.T): セラミック素材の呼称であり、半透明でカオリンの発見以前のヨーロッパにおいて開発された、硬質磁器のベースとなる素材。
今日、PTは18世紀の素材のバリエーションのひとつであり、1980年にセーブル工房で再開発され、1260℃で焼かれたものが作られた。
「ソフトペースト(軟質磁器)のパテは20ほどの要素から構成されている、まずフリットと本体である。
初めのものは鉱物(岩の)の結晶、ガベルの塩、岩石の明礬、アリカントのソーダ、モンマルトルの採石場の高熱で焼かれた石膏、そしてフォンテーヌブローの砂で構成されている。
全ての素材は焼いてから使用される」 (セーブル陶磁器博物館におけるファルコネ展の図録より抜粋) ★Etienne-Maurice FALCONET(エティエンヌ モーリス ファルコネ)★ (1716年12月1日に生れ、 1791年1月24日にパリにて歿) 職人の家系に生れ、彫刻は伯父の大理石、石工師のNicolas GUILLAUMEに学んだ。
その後1730年頃から木や粘土の彫刻を始め 1734年に Jean-Baptiste II LEMOYNE (1704-1778) のアトリエに入る。
同氏はAnne Suzanne MOULINと1739年に結婚し4人の子供を持った。
その子供の一人が将来、図案家、彫刻家、画家になる Pierre-Étienneである。
1745年Étienne-Maurice F ALCONETは芸術大学に入学が許可される。
1754年Milon de Crotone賞を授与される。
その賞品は現在ルーブル美術館に保管されている。
その翌年、同芸術大学の助教授になり1761年に教授、1783年に副学長となる。
1757年、王立セーブル工房の彫刻部門責任者に任命される。
FALCONET は週のうち一日をセーブル工房で仕事をした。
磁器作品の前段素焼きの原型作りである。
多くの作品はFrançois BOUCHERの図案構図や絵画からの啓示を受けている。
ポンパドール夫人所有のCrécy 城の別邸に置かれた数々の作品もこのBOUCHERの絵画の影響が多く見られる。
FALCONETには変わらぬ後援者と友がいる。
彫像の良き理解者であるポンパドール夫人1752年にLa Musique、花と果樹の女神の彫像をCrecy城に制作し、 1757年L’Amour像をパリの別邸に制作した。
この建物は現在は大統領官邸となっている。
【フランス国立セーブル製陶所工房作品】