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新宿 うなぎ志ん朝復活?色は匂へと散りぬるを は(CD)
志ん朝復活?色は匂へと散りぬるを は(CD)
価格:2,310円
は ★「酢豆腐」 ★ 「鰻の幇間」 江戸前、粋、消えない芸の華がある。
ちょっと変な若旦那、明朗な若い衆たち、そして野だいこの哀歓?志ん朝落語のエッセンス [酢豆腐(すどうふ)]若い衆たちが一杯飲もうと準備中。
腐った豆腐をキザで知ったかぶり屋の若旦那に食わせよう![鰻の幇間(うなぎのたいこ)]行きずりに取り巻いた客にご馳走になるつもりだったが、野だいこの運命は鰻屋の二階から突如奈落へと落ちた。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::古今亭志ん朝出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう)は、江戸噺家の名跡。
3代目の死去に伴い、現在は空席。
3代目は名人の誉れ高く、志ん朝の名跡を大きくしたため、一般的に志ん朝と言えば3代目を指す。
1936年より空位だが、三遊派に読みが同じ三遊亭新朝(さんゆうてい しんちょう)と言う名跡がある。
読みは、志ん朝と後ろにアクセントを置く(平板アクセントである新潮社の「シンチョウ」とは違うアクセントになる)。
この名前は5代目古今亭志ん生門下より生まれた名前であり、これまで名乗った3人は全員5代目志ん生を師匠に持っていた(初代と3代目は実子)。
初代古今亭志ん朝 - 後の10代目金原亭馬生。
3代目志ん朝は実弟。
2代目古今亭志ん朝(生没年不詳) - 戦後まもなく志ん生に入門し古今亭志ん一から1948年3月に志ん朝と改名。
1949年5月まで落語協会の名簿に見えるが7月にはなくその頃廃業したと思われる。
通称「魚屋の志ん朝」。
本名は金田 睦男。
一部資料ではこの志ん朝については触れず、当代を2代目とすることもある。
3代目古今亭志ん朝 - 当代。
本項にて詳述。
初代志ん朝こと10代目馬生は実兄。
--------------------------------------------------------------------------------古今亭 志ん朝 生誕 1938年3月10日東京都 没年 2001年10月1日 職業 落語家 3代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3月10日 - 2001年10月1日)は、東京都文京区駒込出身の落語家。
本名、美濃部 強次(みのべ きょうじ)。
生前は落語協会所属。
父は5代目古今亭志ん生。
強次の名は一時期の父の師匠初代柳家三語楼が命名したとされている。
兄は10代目金原亭馬生。
姪は女優池波志乃(義甥は俳優中尾彬)。
長く新宿区早稲田鶴巻町に居を構えていたが、その後新宿区矢来町(「シンチョウ」つながりの新潮社所在地でもある)に転居し、以後一部では「矢来町」という呼び名でも親しまれた。
出囃子は『老松』。